【上昇気流】(2023年10月21日)

「作家と作品を切り離して考えることは可能か」という根本的な課題に言及した文章(「三田文学」155号)に出会ったのは、久々のことだ。元編集者、前田速夫さんの連載第1回の冒頭に近い箇所だ。前田さんは、文芸雑誌の編集長を長らく経験した。

「作品が全て。作家なんかどうでもいい」という風潮がひところ流行した。「作家と作品の分離」の風潮に対して前田さんは、厳しい批判を加えている。

作家と作品の分離はそもそも考えられない。作品とそれを創作した作家は切り離せないのは当然として、むしろ作家と作品のダイナミックな相互作用そのものが、文学作品の楽しみ方の一つというのが前田説だ。

例えば、ライバル作家がいてこそ文学は活性化する。「作品そのもの」同士ではライバル関係にはならない。ライバルは、人間の顔をした作家同士でなければならない。

「作品が全て」と言い切った途端に世界が狭くなってしまって、いい作品が生まれにくくなってしまったという苦い経験が、ベテラン編集者にはあったのだろう。編集者だけでなく、文学者当人も読者も同じ印象を持ったはずだ。

今どき「作品が全て」と叫んでいる批評家はほとんどいない。こうした考えが極論にすぎないことが分かってきたからだ。「作品が全て」派の時代は、20世紀末から21世紀初頭にかけて続いた。振り返ればその時期も、文学のそれなりに長い歴史の中で必要な期間だったようにも思えてくる。

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