札幌市の秋元克広市長と日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長が、札幌市が招致を目指していた2030年冬季五輪を断念し、34年大会以降の招致を目指す意向を表明した。
東京大会の汚職・談合事件による五輪への不信感で、市民の理解が得られないと判断したというが、実際そうであれば実に罪深い事件だ。ところがJOCなどは「汚名返上」とはいかずに、東京大会全体にケチが付いたことを認め叩頭(こうとう)しきりの体なのは残念だし情けない。
これまで札幌市は30年開催で施設の新設を極力減らし、既存施設の観客席などを一時的に造る経費抑制の計画を立てていた。大倉山ジャンプ競技場もそのまま使う予定だった。自信満々と言わないまでも、やる気十分に見えた。
それがここにきて一転、「理解が広がっていない」(秋元市長)と札幌市民のせいにして断念を決めた。JOCが弱気に走ってそれに追随したとしか思えない。札幌では招致の賛否を問うため、住民投票を求める署名活動さえ行われている。
1972年開催の札幌五輪では、70㍍級ジャンプの笠谷幸生、金野昭次、青地清二各選手が金銀銅のメダルを独占。「日の丸飛行隊」と呼ばれた。フィギュアスケート女子のジャネット・リン選手の明るい演技も忘れられない。サッポロは世界に知られた。
何事も人とモノの移動がなければ発展しない。2030年大会の招致見送りは日本社会の全般的な停滞という不安さえ感じさせる。