ようやく、夏の日中の猛暑や寝苦しい熱帯夜から解放される日々となった。空を見上げると、青い穏やかな空間がずっと広がっている。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には、秋の空は「一年中でもっとも美しく感じられる」と書かれている。
青空は年中見られるが、春夏秋冬それぞれの味わいがある。冬の凛(りん)とした青さ、春のかすむような青さ、そして熱気が渦巻いているような夏の空。秋は詩人ならば、見上げながら詩を書いてみたい空だ。
フランスの象徴派詩人ヴェルレーヌは、バイオリンの音色と落ち葉をイメージしながら秋の寂しさを歌っている。「げにわれは/うらぶれて/こゝかしこ/さだめなく/とび散らふ/落葉(おちば)かな」(上田敏訳『海潮音』)。
日本では、佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」が思い出される。「あはれ/秋風よ/情(こころ)あらば伝へてよ」と始まる詩は、サンマを通じて食欲の秋をほうふつとさせるが、背景にはやはり静かな寂しさがある。
秋は実りの季節であるとともに、木々の落ち葉があり、人生の終末期の寂しさとも重なるイメージがある。寂しさもまた、秋の情景であると言っていい。今年のサンマはシーズン前には不漁が予想されていたが、このところは水揚げ量が増えたという話を聞く。
秋空はまた、天候が変化しやすいので、人の心の変わりやすさにも例えられることが多い。ことに政治の現場では「君子豹変(ひょうへん)す」と言うべき政治家の朝令暮改はよく聞く話だ。