「標高八五〇〇メートル近いこの地点では、下界の鈍さが取り払われ、星との距離が近い。霞(かす)んだフィルターを外して、本物と向かい合っているような感覚があった。強光の星たちはこうも辛辣(しんらつ)な色を放つものなのか」。
写真家の石川直樹さんがヒマラヤのエベレストに登った時、夜明け前に稜線で宇宙と対面し、人生の幸福を味わった時間を『全ての装備を知恵に置き換えること』(集英社)の中で記している。
石川さんは、無垢(むく)の大自然の中で、この地球に人が存在することの喜びを綴(つづ)ってきた。2001年にエベレストに登頂。当時の世界7大陸最高峰登頂の最年少記録を塗り替えた。23歳だった。
舞台は山だけではなく、南太平洋をカヌーで航海し、気球に乗って大空を旅してきた。そしてそれらの体験を綴った写真と文章は、淡々としているが深い味わいがあり、珠玉の詩のようである。
そして今、ヒマラヤの8000㍍を超える14座の登頂を目指している。すでに13座を登り終え、残った最後のシシャパンマ(8027㍍)に挑んで、今月中に達成しようとしているという(小紙10月6日付)。
2日には13座目のチョーオユー(8201㍍)に登頂したばかり。石川さんはフィルムカメラを携えて登り、その行為の中で味わう新鮮な感覚を視覚化してきた。この14座に挑んだのは、普段は人が立ち入らない山の「デスゾーン」での撮影も狙いの一つだ。どんな写真作品を見せてくれるのだろうか。