「燃ゆる感動かごしま国体」が鹿児島県下で開かれている。元来、第75回国民体育大会として3年前に開催予定だったが、コロナ禍で中止され今回は特別大会である。それだけに「燃ゆる」に一段と熱がこもっている。
国体は今回が最後である。と言っても、大会自体がなくなるわけではない。「体育の日」が3年前に「スポーツの日」となり、国体も「国民スポーツ大会」と名称変更。略して国スポ。来年の佐賀大会は第78回国スポとなる。継続は力なり、と改めて思う。
紀元前9世紀に始まった古代オリンピックはギリシャからローマへと引き継がれ、紀元後393年の第293回をもって終了した。キリスト教が国教となり、オリンピアの神が排除されたからだ。
それを近代に蘇(よみがえ)らせたクーベルタンは、1893年に米シカゴで開催された万国宗教議会に参加して、オリンピック大会開催への決意を固めたという(ジョン・J・マカルーン著『オリンピックと近代 評伝クーベルタン』)。
スポーツは宗教に対する寛容の精神と深く関わる。「オリンピックが繁栄するなら、世界平和を確保する上で間接的ながらも強力な要因になるだろう」とクーベルタンは語る。スポーツは平和の祭典でもある。
札幌市が2030年冬季五輪の招致を断念したのは残念である。それが寛容の精神が薄れ、何かと対立や闘争をもたらす昨今の世情の反映であれば将来が危うい。それが妄想というのであれば幸いである。