人生、何が幸いするか分からないものである。「怪我(けが)の功名」という諺(ことわざ)があるように、当初はショッキングに思えるような災難が、後々に良い結果をもたらすことがある。
先日、わが家でシニア女性のサロンを催した時のことだが、もうすぐ80歳になるご婦人が出産にまつわるある出来事を話し始めた。
主治医の手術ミスで当時高校生だった娘が卵巣を切除されるという、ショッキングな体験談である。
主治医の病院長から事実を知らされ、最初は驚いたが、カトリックの信仰を持つ医師がミスを率直に認め、深々と頭を下げ謝罪する姿を見た時、なぜか恨む気持ちが湧いてこなかったそうだ。
親族全員が告訴すべきだと大騒ぎしたが、「元に戻るわけではないし、どんな立派な方でも過ちはある」「もう一つ卵巣があるから産めないわけではない」。そう思って事実をありのまま受け止め、相手を許すことで、むしろ自分の心が救われたと言うのです。
その後、娘さんは理解ある伴侶と出会い結婚し、2人の男の子にも恵まれた。
その話を聞いて、3年前に他界した義母の話を思い出した。義母が柿の木から落ちて、頭を打ち脳外科病院に運ばれたことがあった。それがきっかけで、義母は夫に脳ドックを勧めたところ、検査で何と腫瘍が見つかり、即入院、手術となった。信心深かった義母は、「柿の木から転落しなかったら、発見が遅れ、どうなっていたか。仏様はすべてご存じだったんだねえ」としみじみと話してくれたことを鮮明に覚えている。義父母が他界して3年がたつ。今、親に心配ばかりかけてきた次男が仏様の前で毎晩お経を唱えている。人間は変われば変わるものである。
内村鑑三の『後世への最大遺物』に倣って、後孫へ何を遺(のこ)せるかと問われれば、親の生きざま、神仏への心であるとしみじみ感じるこのごろである。
(光)