
中国報道で「未富先老」という文字を目にすることが多くなった。豊かになる前に老後を迎えるという意味である。
少子高齢化の中で経済が行き詰まり、失業率はうなぎ上りで、ついに当局は数値すら発表しなくなった。富まずに老いる。不安と嘆きの声が響いてくる。
共産党はかつて「先富論」を掲げた。1980年代に鄧小平が唱えたもので「先富幇助落伍」と言った。先に豊かになれる者たちを富ませ、落伍した者たちを助ける。そんな謳(うた)い文句だった。当時は文化大革命の直後で、世界から文字通り落伍していた。
その頃、中国の杭州を旅したことがある。目下、アジア大会が華やかに開催されているが、当時は薄汚れた都市だった。昼食を取った「飯店」で、他の客に遠慮もなく豪勢に宴会をする一団と出会った。店員に聞けば、地元の党幹部の親族らだという。落伍の中にも先富はあったのだ。
80年代の中国映画はそんな共産党を皮肉交じりに描いていた。『黒砲事件』(黄建新監督)、『古井戸』(呉天明監督)、『芙蓉鎮』(謝晋監督)などがそれで、権威主義と強欲が混ざり合った党員らの先富の原型が知れる。
その後、中国は経済特区を設け、外資を導入して経済成長にひた走り、先富は驚くほど拡大して党員一族はその恩恵に大いにあやかった。その一方で幇助落伍は死語と化し、「未富先老皆落伍」に陥ろうとしている。中国経済の低迷は「習天下」をも揺るがすか、注視したい。