
奈良県桜井市で大きな発見があった。初期大和王権の大王墓とされる桜井茶臼山古墳(全長204㍍)で、銅鏡103面が納められていることが分かった。県立橿原考古学研究所の精緻な3次元計測で判明した。
卑弥呼が魏の皇帝から授かったという三角縁神獣鏡、中国製の画文帯神獣鏡、日本製の内行花文鏡の3種類が揃(そろ)っているという。
研究者が注目するのは、その数の多さだ。呪具であり権威の象徴でもあった銅鏡の大量の副葬は、被葬者の力を表す。初期大和王権を、せいぜい大和盆地から近畿地方に勢力を持っていた弱体政権とする見方を正す材料がまた一つ増えた。
それにしても新聞報道は、被葬者が卑弥呼ゆかりの人物である可能性に言及するなど、相変わらず邪馬台国と絡めて報じている。この時代に作られた三角縁神獣鏡が大量に発見されたのだから、無理はない。邪馬台国畿内説がさらに有利になってきたのも事実だ。
いずれにせよ中国の「魏志倭人伝」の記述を中心に日本古代史を論じるのは、そろそろ止(や)めにした方がいいのではないか。気流子は、邪馬台は「やまと」と読むべきであり、邪馬台国=大和すなわち畿内とみている。卑弥呼の宗女で男王の後に立てられた台与も「たいよ」ではなく「とよ」と読まれている。
とはいえ、九州説の読者から猛反撃を食らいそうだから、これ以上の私説開陳はよそう。最新技術による科学的研究と発見が、謎を解明してくれることを期待したい。