かつて「橋の哲学」なるものが世を騒がせたことがある。旧社会党や共産党に担がれて「革新都政」(1967~79年)を牽引(けんいん)した美濃部亮吉都知事が、都市改造や道路建設に反対する住民運動に肩入れする際にこの「哲学」を持ち出した。
「一人でも反対があったら橋を架けない」というアルジェリアの独立運動家の言葉から引用したもので、これをもって住民参加型民主主義と称した。哲学とは聞こえはいいが、要するに土木・建設事業を“手抜き”する屁(へ)理屈である。
反対したのは東京外環自動車道、首都高中央環状線、東京湾横断道路、羽田空港拡張等々、今では首都圏の動脈となっている基盤整備事業である。
これに代わって高度成長時代の潤沢な都税は「バラマキ福祉」に回され、革新都政3期12年を終えた79年には約4兆2000億円もの借金まで残し、その後の都政を停滞させた。
亮吉の実父、美濃部達吉は「天皇機関説」で名高い法学者だが、関東大震災の3年前の20年には当時の東京市長、後藤新平の大東京改造計画に協力し、大いに知恵を出した。戦後は占領下に制定された現行憲法を無効と唱えた。達吉であればエセ民主主義を退け「橋の哲学」を一笑に付したに違いない。
左翼の懲りない面々は目下、新種の「橋の哲学」ウイルスをまき散らしている。曰(いわ)く、一人でも反対があったら処理水を流すな、辺野古移設工事を止めろ、と。こちらは共産中国を喜ばせる屁理屈である。