火炎に追われ逃げる所は?

「火は水で防げ得ると早合点して水の中に飛込むものが多いけれど、五十間(1間=約1・82㍍)や百間の川幅では火の雨に降られた上に両側から焼け落つる餘燼に焼きまくられぬものはない、縦横に通ずる川の中や濠の中に堆高く積み重ねられた死体は皆それだ、数百間の墨田の大川でさえ其通りだといへば、支流の甚しいことは想像以上だ」

100年前の9月1日、当時の東京市など関東を中心に揺るがした関東大震災について、15日までの被害状況をまとめた『東京大地震記』(東京黒龍会編纂〈へんさん〉)の一節だ。黒龍会は大アジア主義に立つ右翼団体だが、震災当日から入手できるあらゆる情報を盛り込んでいる。特に会員たちが直接目撃した実地の光景を書き込んでおり、興味深い。

その「震災惨状目撃」の項の「火の雨」に記されたのが前掲の一文だ。同項の冒頭には「愛宕山の火焔包囲」が出てくるが、愛宕山に避難した住民が四方から押し寄せる火炎に包囲されて大勢の死者を出したと書かれている。山が駄目なら川はどうかと思って見ると、川も前掲のような惨状だったというのだ。

火炎に追われた時にどこに逃げるか。これは本当に生死を分ける判断だ。戦時中の話は父から聞いたことはないが、祖父からは時たま聞かされた。徳島大空襲(1945年7月4日)の話だ。祖父と父は川に逃げて生き延びたが、眉山に逃げた人々は焼夷(しょうい)弾で山裾から焼き上げられ、多くが命を失ったという。

そんな話を聞いていたので、やはり川に逃げるべきだろうと思うが、火災があまりにも大規模になると、川岸の家屋が燃え崩れたり、火の粉が飛んできて、水際も安全でない。深みに入ると溺れ死ぬ恐れもある。

大震災記によると、盥(たらい)や桶(おけ)、バケツを頭上からかぶったり、布団や衣類を水に浸してそれをかぶっていた人たちがわずかに助かったのだという。

(武)

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