
お盆に帰省した人の話を聞いた。新型コロナウイルス禍もあって、しばらくごぶさたしていたため、家族総出で帰ったそうで、この間の故郷の変貌で驚くことが多かったという。しかし、子供たちは観光や親類との交流を楽しんでいたそうだ。
久しぶりに訪ねると、故郷も大きく変わっているのは仕方がない。故郷への思いは人それぞれだ。両親が健在であれば親孝行になるが、亡くなっていればなかなか気軽には帰れない。
故郷は懐かしいと同時に、どこか反発したくなる矛盾を感じさせるものがある。そのような複雑な心情をうかがわせるのが、金沢出身の詩人、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という詩の一節である。
思い出では過度に美化されている部分も、現実に直面すれば幻滅して帰らなかった方が良かったということにもなる。だが、その思いは過去への懐かしさの反動でもあるだろう。
故郷をしのびながら他郷で亡くなった人物で有名なのは、古事記で英雄として取り上げられているヤマトタケルである。父親から愛されなかったという思いを抱いたヤマトタケルは、それでもふるさとの大和をしのび、「大和は国のまほろば」と称(たた)え、そこで死ぬことを望んだ。
その途中で倒れたヤマトタケルは、魂が白鳥となって故郷の空へ向かったという。しかし、陵墓が故郷の大和ではなく、三重県の伊勢や大阪の河内などに造られたというのはどこか謎めいている。