【上昇気流】(2023年8月24日)

関東大震災による津波の被害を受けた静岡県伊東市で撮影された写真(左)と、カラー化した写真(国立科学博物館提供、カラー化協力東京大大学院の渡邉英徳教授)

関東大震災が起きたのは1923年9月1日。明治以降の地震被害としては最大規模で、死者・行方不明者は約10万5000人と言われる。最も被害の大きかったのは、隅田川沿いの陸軍被服廠跡地だった。

4万平方㍍の空き地で、周りは板塀。約4万人の人々が逃げ込んだが、火災旋風で1時間足らずの間に3万8000人が亡くなった。この場所にその後、震災記念堂が造られ、「震災死亡者調査票」が収められた。

これは史料約5万枚から成り、一部を除いて非公開だった。が、震災100年を期して今年度中にデータ化し、研究目的に限って閲覧を許可する方針が出されたという(小紙8月21日付)。

同じ隅田川の東沿いにあって、そこから約3㌔南の岩崎家別邸(現在の清澄庭園)には2万人が逃げ込んだ。こちらでも外部から火災の熱が襲ってきたが、赤ん坊がひとり踏まれて死亡した以外、亡くなった人はいなかったという。

生態学者、故宮脇昭さんの『木を植えよ!』(新潮社)によると「岩崎家別邸の周りには、土地本来の潜在自然植生の主木である照葉樹が植えられていたからです」。土塁にはスダジイ、タブノキ、イチョウなどが植えられていた。

「水分を充分含んだ常緑広葉樹の葉は厚く、それが高木、亜高木、低木と多層になっていれば、『緑の壁』となりしばらくは火を防いでくれるのです」と宮脇さんは続ける。これらの木々が猛火の犠牲となって2万人の命を救ったのだ。

spot_img
Google Translate »