【上昇気流】(2023年8月15日)

富岡八幡宮

「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」--。昭和天皇が終戦を決断された時の御心境を詠まれた御製である。戦後日本は、この御聖断に始まる。

昭和20年3月18日、昭和天皇は東京・深川の富岡八幡宮にお出ましになり、同月10日の東京大空襲で焼け野原となった下町の被害状況を視察された。大達茂雄内相が説明を終えると「こんなに焼けたか」としばし絶句された。終戦の御聖断は、この視察が大きかったものと思われる。

富岡八幡宮の境内には、終戦時の宰相、鈴木貫太郎の長男、鈴木一元侍従次長謹書による御製碑が立っている。平成31年3月には「新日本の再建は、富岡八幡宮から始まった」とする外交評論家の故加瀬英明氏ら八幡宮友の会によって「昭和天皇救国のご決断と富岡八幡宮」の石碑が建立された。

碑には昭和天皇視察時の写真が写された銅板が嵌(は)め込まれている。富岡八幡宮が、いかに昭和史の重要な場所であるかが理解できる▼加瀬氏は、終戦の日が富岡八幡宮の例大祭で江戸三大祭りの一つ「深川八幡祭り」の日であることに不思議な因縁を感じたようだ。「終戦は富岡八幡宮の御神威によるもの」と碑文には記されている。応神天皇を祀(まつ)る八幡宮は代々皇室とのゆかりが深い。

今年は3年に1度の「水かけ祭り」と呼ばれる本祭りも6年ぶりで復活した。きょうは全国戦没者追悼式の行われる日本武道館と共に、富岡八幡宮にも思いを馳(は)せたい。

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