子供たちは夏休みに入った。街中には幾分、その姿が増えたように思うが、さほど多くもない。猛暑だから、そうそう外で遊べない。家の中でゲームに興じる子も少なくないからか。ちょっと寂しい気がする。
昨年暮れに亡くなった歴史家、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)によれば、幕末から明治初期の日本の街頭には子供たちが溢(あふ)れていた。来日外国人はその光景に驚いている。
デンマーク海軍のスエンソンは、日本の子供は「遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」と言い、お雇い外国人ネットーは「子供たちの主たる運動場は街中である。……子供は交通のことなど少しも構わずに、その遊びに没頭する」と描写している。
英国の女性旅行家イザベラ・バードは駕籠(かご)や馬に乗って日本中を巡ったが、子供だけでなく親にも目を向け、日光では「これほど自分の子供たちをかわいがる人々を見たこともありません」と感嘆している(『日本紀行』講談社学術文庫)。
可愛(かわい)がるのは自分の子供だけではない。「他人の子供たちに対してもそれ相応にかわいがり、世話を焼きます」。その愛情は全国共通だったようで、英国の初代駐日総領事を務めたオールコックは日本を「子供の楽園」と呼んでいる。
奈良時代の歌人、山上憶良は「子供という宝に及ぶものはない」と詠(うた)った。少子化対策はもっと「愛」に着目すべきではないか。夏休みの街中でふと思った。