今春、親族が15人ほど集まる機会があった。冠婚葬祭であっても遠方に住んでいると親族と会うことはなかなかない。二十数年ぶりに会った従兄弟(いとこ)は昔の面影が残っていて、実に懐かしかった。
別の従姉妹(いとこ)は筆者より少し年下ながら、3歳と1歳の孫を連れてきていた。その従姉妹の親、つまり筆者の叔父叔母にとってはひ孫である。
そのひ孫への80歳を過ぎた曽祖父(筆者の叔父)の接し方が見ていて微(ほほ)笑ましかった。自分の親と先に帰ろうとするひ孫を「○○くーん。ちょっと待って」と呼び止め、何と頬擦りをするのだ。ひ孫も嫌ではなさそうだ。集まった親族からも笑い声が上がり、「うらやましいね」と言う親族もいた。
昨年も筆者の義母の「孫育て」のことを書いた。叔父叔母は曽祖父母だが、今の子育て環境の中で祖父母の助けに期待する声は多い。自治体が配布している祖父母手帳も話題になっている。それと、曽祖父とひ孫の姿を見ていて、これも以前に書いたことがあるが津田塾大学教授の三砂ちづるさんの講演を思い出した。三砂さんは次のようなことを述べていた。
家庭で引き継いでいけるものは、目の前の人をあるがままで受け止める「無限の受容」ではないか。自分より弱いものを守りたい、幼く小さいものをただ愛おしいと感じる感情があるからこそ、人類はここまで生き延びられた―。(『家庭フォーラム』第27号、2017年11月)。
少子化対策に関して、子育ての喜びや魅力が感じられるようにしよう、という声も時々メディアなどで見掛ける。実はそういう努力が最も必要な対策ではないかと筆者も感じている。もちろん子育ては奇麗事だけではない。家庭も多かれ少なかれ問題を抱えている。それでも家庭で引き継がれてきたものにもっと目を向けるべきではないかと思う。
(誠)