明治時代の割合知られた川柳に「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」というものがある。小説家で評論家の斎藤緑雨の作とされている。皮肉が利いていて、今でも通じる。ゲーテという呼び方に定着するまでには「ギョエテ」のほか数十種の表記があったという。
これは外国語を日本語にする翻訳に苦労した時代の話で、今ではゲーテをギョエテと言う人はいないだろう。いささか恥ずかしいが、気流子にも似たような失敗がある。本の出版に携わっていた頃のこと。
レーガン米大統領誕生で、米国在住の評論家にその背景などについて書いてもらい、気流子が編集した。当時はほとんど「リーガン」とマスコミが表記していたので「レーガン」を全て「リーガン」に書き換えたことを覚えている。今でも冷や汗が出る思い出だ。
日本でゲーテの詩や小説を翻訳した文豪に、明治時代を代表する森鴎外がいる。鴎外は翻訳者としても一流で、アンデルセン作『即興詩人』の清新な訳を作家の正宗白鳥が激賞していたほど。
一度、鴎外の生まれた島根県の津和野町を訪ねたことがある。初めての土地だったが、どこか懐かしい気持ちになったことを思い出す。
鴎外は陸軍軍医としても頂点を極めたが、墓には鴎外の号や全ての栄誉を刻むことを拒否して一私人として死ぬことを願った。「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」が遺言になる。きょうは「鴎外忌」と呼ばれる命日である。





