「万緑の中や吾子の歯生え初むる」(中村草田男)。この句は気流子にとっては忘れ難い。最初、教科書か何かで読んだ記憶がある。その時は、気恥ずかしいと思ったことを思い出す。
自分の子の歯と万緑という表現の対比が、どこか生々しい感じだった。ところが、高齢になって読み返すと印象が変わった。乳児と若葉が響き合い、生命力への賛歌や喜びがあふれて深い感慨を覚える句となったのである。
ただ、日本の自然から万緑という表現はなかなか生まれない。日本人には自然は多様性をもって感じられるので、その緑の違いの方に意識が向いていくからだ。「緑陰」や「新緑」といった季語の方が、そんな微妙な感性を表している。
この万緑という季語は、中国北宋時代の政治家で詩人の王安石の詩句「万緑叢中紅一点」から出ていると、稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』にある。いかにも「白髪三千丈」という李白の詩がもてはやされる広大な国土の中国ならではの表現と言っていいだろう。
王に限らず、中国の政治家には詩人としても一流の人物が多い。むしろ、詩を書かなければ一流の政治家と認められなかった。官僚の試験である科挙では詩が必須科目だった
一方、日本では詩歌をたしなむ政治家は少ない。明治時代を除けば、辛うじて俳人としても知られている中曽根康弘元首相が浮かぶぐらいである。有名な作品の一つに「暮れてなほ命の限り蝉しぐれ」がある。