【東風西風】人々が平等だったウィーンのサロン

ウィーン 国立オペラ座

「ウィーンのサロンの人気の秘密の一つは、そこで音楽に親しむ人びとの間に平等が徹底されていたことであった」。『「音楽の都」ウィーンの誕生』(岩波新書)で著者ジェラルド・グローマーさんが書いている。

18世紀後半、貴族の邸宅や裕福な市民の住まいで催されたサロンは、この都市の音楽文化全体を支えた柱。「貴族もブルジョアジーも、皇族も家臣も、主人も部下も、皆が一堂に会し、音の調和によって、それぞれの立場との間の不調和を忘れている」と、グローマーさんは当時の新聞を引用する。

演奏者と招待客の分け隔てのない接触と会話は、自由な社交を可能にするための必須条件だった。封建社会から近代社会への移行期で起きた、ウィーン独特の現象だ。他の都市では、音楽家がこのような扱われ方をすることはなく、それが彼らを呼び寄せた理由の一つでもあった。

ヨハン・シュトラウス2世が1874年に作曲した「こうもり」は、オペレッタの最高峰とされるが、このような社会状況をそのまま反映させたような物語になっている。

第2幕が貴族の館で開かれる舞踏会で、正体を隠してだが、さまざまな人々が集ってくる。銀行家、その夫人、刑務所長、声楽教師、銀行家の小間使いなど、対等の立場で、恋のドラマが繰り広げられる。

ウィーンならではのオペレッタだ。社会秩序が激変し、地響きしているような時代だったといえよう。

(岳)

spot_img
Google Translate »