
G7サミットが5月19日から21日まで広島で開かれる。それに合わせて各国の首脳・代表団、マスコミ関係者が大勢押し寄せる。関係者のほか観光客も原爆ドーム(旧広島県物産陳列館)をはじめ原爆資料館、その他の平和公園の施設を慰霊に訪れ、鎮魂の祈りをささげることだろう。
広島は原子爆弾に世界で最初に被爆し、多くの人的・物的犠牲を払う惨禍に見舞われた地である。爆心地の中島地区は建築家・丹下健三の設計により、広島平和記念公園として整備されている。慰霊の中心的施設「慰霊碑」の屋根の下には石室があり、国内外を問わず、死亡した原爆被爆者全員の氏名を記帳した名簿が納められている。
広島出身の筆者の父親、母親をはじめ父方祖父母、母方祖父母から叔父、叔母ほとんどが被爆者であり、死没者名簿に記載され、安置されている者も多い。
子供の頃、8月6日の原爆の日が近くなると、共産党系の原水爆禁止日本協議会(原水協)の原水爆禁止世界大会、社会党・総評が中心となった原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の大会が、県立体育館などで行われ、大会をアピールする場外放送を行っていた。それに加え、右翼の街宣車が大音量の軍歌を流しながら車列をつくって抗議運動をしていた。近隣住民は「”外人部隊”ばかりだ」と大音量の場外放送や街宣車に、うんざりした表情をしていた。
三十数年前、子供たちを連れて、父母の案内で広島観光に出掛けた時、平和記念公園にも足を延ばした。資料館の前に来て、両親は急に立ち止まり、「あんたたちだけで見てきな」という。理由を聞くと「当時のことを思い出すから」という。
慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませんから」という文言は主語が無い、とか誰に対してだとか、いろいろ言う人もいるが、「やり場のない感情」の表れなのだろう。
(和)