
初夏の伝統的な行事に薪能がある。夜に室内ではなく、外で行われ、薪をたいた闇の中で演じられた。室内の舞台では、照明が舞台をくっきりと浮かび上がらせて、役者の姿や音もクリアな中で行われる。
そのために、そこに演劇空間はあっても、自然の息吹を感じることはあまりない。それを補うのが、夜に行われる薪能と言っていいかもしれない。薪能は生者と死者の境界線にある芸能という印象がある。
室町時代の猿楽がルーツだが、コミカルな狂言と合わせて能楽と呼ばれている。神や鬼、幽霊なども登場する。本来的には死者の魂を鎮める宗教的な意味合いがあった。仮面をかぶって演じる背景には、この世とあの世をつなぐ装置のような役割もあっただろう。
かつて野外で薪能を見たことを思い出す。薪のはぜる音、風によって木々がさざめき、楽器の音も聞こえにくかった。明かりが薪のみなので、演者もあまり見えない。闇の中で踊る光の供宴に、時には闇に紛れ、時に明かりで浮かび上がる。
自然の雑音が混じるのに、なぜかそこに静寂を感じたことがある。自然というものは、無音ではなく、さまざまな音で構成されているからこそ静寂を感じるのだろう。
そういえば「歴史は夜作られる」という言葉がある。重要なことは夜に決められることが多い。政治も、表には出てこない駆け引きが行われる。その意味で、マスメディアの表面的な報道の裏を読むことも重要だ。