
花見の記憶。20年ぐらい前、井の頭公園(東京都武蔵野市・三鷹市)で花見をやったことがある。が、本当に花見と言えるのかどうか。桜が1~2分咲きだったからだ。それでも公園内は客でいっぱい。座る場所を探すのも困難なほどだった。
仲間の誰かが「われわれもそうだけど、みんなスケジュール優先でやってるんだな……」と言った。報道などを参考にしながら花の咲き具合を予想して「この日」と決めたのだろうが、相手は自然なのだから、そこそこ狂ってしまうこともある。改めて予定を変更する余裕などとてもないのが大方だろう。
桜のない花見も含めて、この世の中の何割かは予想不能だ。われわれ以外の公園にいる人たちは、どんなことを考えながら「花見」をやっているんだろうと余計なことを思った。
振り返ってみても、その時の5、6人の仲間が誰だったのかハッキリしない。ただ、その後亡くなった人物がその場にいたことだけは明瞭に覚えている。
芭蕉に「行く春を近江の人と惜しみけり」という句がある。「近江の人」とは「近江(滋賀県)系の弟子」のこと。芭蕉最晩年の弟子たちで、軽い作風へと向かった芭蕉を支持した若手のようだ。逆に古い弟子たちは、師匠が「軽味」に変化したのを好まなかったとも言われる。
歌手の三波春夫(2001年没)の辞世。「ゆく空に桜の花があればよし」。平凡な句だが、ほんのりとした中に、この世との別れの予感が読み取れる。