
文章を見直し誤字脱字を正すことを「推敲(すいこう)」という。作家や記者にとっては重要なキーワードになっている。その由来は中国の唐の時代の故事にある。唐代は、李白や杜甫などの世界的に著名な詩人がいる。
官僚になるための科挙の試験にも詩の部門があった。詩を作ることは官僚の素養であり、有名になれば天下に知られた。唐代に賈島(かとう)という人物がいた。科挙の進士の試験に失敗して僧侶になっていたが、詩を作ることは忘れられない。
ある日、「僧は推す月下の門」という句を案じていた。俳句でもそうだが、1文字によって詩全体の世界が変わる。「推す」を「敲(たた)く」にすべきか迷っていると大官の行列に突き当たった。
詩文の大家である韓愈(かんゆ)だったので、これ幸いと自分の悩みを打ち明けた。韓愈は「敲にした方が良い」と助言したことが推敲の由来になった。
新聞社には、誤字脱字を正す校閲という部門がある。在籍する歴戦のベテランは、多くの間違いを訂正したということができるだろう。紙面の正確さを保つ上で重要な部門である。
推敲から気流子が思い浮かべるのも詩である。学校の教室に掲げられていた高村光太郎の詩「道程」である。冒頭は「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出來る」。推敲は道を整備することにも通じる。詩人、文学者、彫刻家として一世を風靡(ふうび)した光太郎は、1956年のきょう亡くなった。レンギョウの花を好んだため、忌日は「連翹(れんぎょう)忌」と呼ばれている。