福田和也氏の『作家の値うち』(平成12年、飛鳥新社)は、小説を点数で評価し、物議を醸した。しかしその評価は、イデオロギー的予断を排し、師匠の江藤淳に劣らぬ読みの深さ、本質に迫る鋭さに裏打ちされたものだった。
この本で、亡くなった大江健三郎氏とその作品の評価が辛(つら)かったのは覚えていたが、改めて読んで、その辛辣(しんらつ)さに驚くとともに、それなりに共感も覚えた。
「清新なリリシズムと残酷さを湛えていた初期大江健三郎の魅力を味わうことができる」として『芽むしり仔撃ち』(昭和33年)に62点、谷崎潤一郎賞の『万延元年のフットボール』(同42年)に82点と高い評価を下しているが、『同時代ゲーム』(同54年)の26点以降、後期作品への評価はおしなべて低い。
『万延元年-』までの作品はそれなりの魅力が感じられたものの、『新しい人よ眼ざめよ』(同58年)を例外に大江作品は読み通すこと自体が骨が折れるという感想をコラム子は抱いていたが、これは大江作品に関する一般的な傾向だろう。
ノーベル文学賞を受賞したからといって大江作品が再び若い人たちの間でブームになったという話は聞かない。大江作品を「すべて西洋からの借り物であった日本近代の無残な写し絵」(福田氏)とまでは言えないにしても、作家の値うちは、それが全てではないが、「一般の読書人に深く親しまれて読み継がれていること」にあることは確かだろう。
(晋)