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沖縄の不発弾事情

不発弾の処理作業の様子。状態を見極め、信管を外して安全化した上で撤去する(陸上自衛隊提供)

沖縄では、不発弾処理に関するニュースを頻繁に見聞きする。筆者が赴任して間もない昨年12月、ある日の白昼、那覇市内の建物の中で「ドン!」と突き上げるような衝撃を感じた。その日、那覇新港で7発の不発弾処理が海中で行われていたことを後日ニュースで知り、衝撃を受けた経験がある。

太平洋戦争当時、すさまじい数の砲弾が艦砲射撃や空爆によって沖縄に撃ち込まれた。その量は約20万㌧にも及ぶとされ、そのうち約5%が不発弾として残ったという。これらの不発弾は戦後78年経(た)った現在においても、まだ威力を残したまま眠っているのだ。

不発弾を巡っては、沖縄の本土復帰後も痛ましい事故が起きている。1974年に那覇市の幼稚園で起きた事故は、園児や工事作業員ら4人が死亡、34人が負傷する大惨事となった。その後も75年、87年にそれぞれ1人ずつ亡くなる事故が起きた。

2018年には那覇市の中心街である国際通りでも不発弾処理が行われ、全面通行止めに。また20年には那覇空港の滑走路付近で不発弾3発が発見され、一時滑走路が封鎖される事態となった。

これらの負の遺産の処理に当たるのは陸上自衛隊第15旅団傘下の第101不発弾処理隊だ。不発弾処理は一歩間違えれば命を失いかねない危険な任務だ。しかし、部隊創設以来、現在に至るまで無事故を続けている。

現在もなお、約1900㌧以上の不発弾が未発見のままだという。諸説あるが、全ての不発弾の処理にはあと100年はかかるとの見立てもある。

途方もない道のりだが、手を止めない限り、いつかはゼロになる日が来る。その日を信じて日々任務に当たる隊員たちには頭が上がらない。

(K)

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