
磯田道史著『徳川家康 弱者の戦略』(文春新書/2023年2月)を読むと「素朴一次史料主義」という言葉が昨今の歴史学者の間には根深いらしいことが分かる。当時の一次史料だけを史実と見なして、後世の史料や伝聞の類いは排除するという発想だ。
手紙や日記が重要なのは当然だ。だが「一次史料以外は排除」というのは、歴史の重要な別の側面に目をつぶることにもなりかねない。何であれ、やり過ぎは禁物だ。
最近の歴史書を読むと、一次史料の羅列にとどまるものが多くなったようだ。実感で言えば、ここ20年ぐらいの間にそうした傾向が進行したようだ。
「読ませる歴史書」が少なくなった。そもそも「読ませよう」と思って書いている形跡が全く見当たらないケースも多い。史料(新発見の場合もある)に基づくデータが全てで、単調な記述があるだけで、表現力が欠落していることが多い。
史料が伝える事実がそのまま記述されるだけ。断片的な史実を拙い文章でつなげただけの著作が多い。
そんな中で磯田氏の本は「素朴一次史料主義」とは明確に逆の方向で書かれた家康本だ。「データ集」としか言えない昨今の歴史本の中に置いてみると、磯田本は十分「読ませる」ものになっている。節度ある噂(うわさ)話の紹介、歴史の伝承に付き物の「尾ひれ(後日談)」の紹介など、昨今の「データ集」を超える方向で書かれている。歴史書も文章表現の一つという事実をよく示した本だ。