「多死社会」を生きる

お葬式

2040年の頃に高齢人口がピークを迎える。年金・医療・介護などが逼迫(ひっぱく)すると予測され、「2040年問題」と言われている。生まれた数の約3倍近い人が亡くなる「多死社会」の到来である。

振り返れば、コロナ禍の3年間に配偶者の両親、叔父叔母など5人の親族を見送った。葬儀はみな簡素な家族葬になったが、全員が平均寿命を超え、ほぼ老衰死だから、致し方ないと諦めがついた。ただ、3月初めに2歳年下の親しい山仲間が逝った時は、さすがに心が重く、桜の春を迎える気分になれない。

若い時は死を忘れて生きられたが、多死社会は日常的にいつも死を意識せざるを得ない社会である。

メディア等で盛んに報じられる「2040年問題」は主に社会保障の危機だが、経済力に関係なく日本人が直面するのは目に見えない心の問題であろう。

昨年12月に慶應義塾大学三田キャンパスで開催された公開シンポジウム「多死社会における魂と肉体の再生」に参加した時に印象に残った言葉がある。

解剖学者の養老孟司氏が京都大学の元総長・尾池和夫博士の「南海トラフ2038年説」を持ち出し、「『2040年問題』は大震災のリスクと重ねて考えていかなければならない」と語っていたことだ。

2月に発生したトルコ・シリア大地震は死者5・2万人超の大きな死傷者を出す大惨事となった。その1カ月後に12年前の3・11東日本大震災の衝撃映像を再び見ることとなった。

養老氏の言葉通りに「南海トラフ2038年説」と重ね合わせてみると、想定する風景が違ってくる。

多死社会を前に、日本人は宗教と向き合うことなく、立ち向かっていけるのだろうか。

先日、子供の自殺が過去最多の512人と報じられた。学校教育においても、生きる意味、死生観の問題は避けて通れない。

(光)

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