
春の雨は温かいというイメージがある。しかし、昨日の東京に降り続いた雨はかなり冷え冷えとしていた。「春雨じゃ、濡(ぬ)れていこう」という新国劇の月形半平太のセリフを思い出すが、とてもそんな気持ちにはなれないほど寒かった。
稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には「春雨という言葉は、古くから使われてきた艶やかさ、情のこまやかさをもっている。土をうるおし、草木を育て、暖かさをもたらす雨である」とある。
冬に逆戻りしたような気温で春の気分が少しばかり薄くなった。だが、春は着実に進行していて、ナスやキュウリなどの野菜や秋の草花の種をまく季節でもある。
四季のうちで春は特別と感じるのも、やはり冬から解放された喜びがあるからだろう。江戸時代の俳人、松尾芭蕉や与謝蕪村の句も味わいがある。「春雨やふた葉にもゆる茄子種(なすびだね)」(芭蕉)。「物種(ものだね)の袋ぬらしつ春のあめ」(蕪村)。
古書店に行くと、山積みされた私家版の自伝や歌集、句集などを見掛けることがある。自分の生きた生涯を本にして残したいという思いが伝わってくるが、あまり人目に触れずに終わってしまうのは残念。
芭蕉は自分の作品を後世に残そうとしたが、蕪村は生前、自分の句集など出さなくていいという考えであったようだ。尾形仂校注『蕪村俳句集』(岩波文庫)の解説によれば「句集が出ると、たいていは日ごろの名声が下落するものだ」と語っていた。それも一つの識見である。