「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない」――。これはローマ帝国の基礎を築いたユリウス・カエサルの言葉。評論家の塩野七生さんは『ローマ人の物語』(新潮社)の中で、しばしば引用している。
ノーベル賞作家の大江健三郎さんの訃報に接し、カエサルの言葉が心に浮かんだ。文学のことはさておいて、ことノンフィクションでは「見たいと欲する現実しか見ない」人ではなかったか。著作『沖縄ノート』でそう思う。
沖縄戦での集団自決は渡嘉敷島などの守備隊長が命じたと、まことしやかに書いた。種本は地元紙の『鉄の暴風』(1950年刊)で、現地取材も検証もせず、文献の引用を羅列しての「軍命令説」だった。
その真偽を作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島など集団自決の現地を訪ねて検証した。それによれば、遺族年金を受け取るための偽証が基になっていた。曽野さんは軍命令がなかったと断定せず「命令」の実証がなかったとしている(『ある神話の背景』PHP文庫)。
現実のすべてが見えるわけではないけれども、見ようとする努力は必要だ。ノンフィクションを手掛ける原則を曽野さんは「愚直なまでに現場に当たって直接談話を聴き、その通りに書くこと。矛盾した供述があっても、話の辻褄を合わせない」などとしている。
大江さんには、見たいと欲する現実はフィクションで描く方が似合っていた。合掌。