米国本土上空を横断した中国の偵察気球を米軍が撃ち落とした。中国は気球を「気象研究用」のもので「不可抗力によって米国に入った」と主張しているが、残骸が回収されれば、中国が何をしようとしていたか明らかになるだろう。
この気球事件で思い浮かぶのは、大戦末期に日本軍が米本土に向けて放った「風船爆弾」のことである。和紙を5層にしてコンニャク糊で張り合わせ、直径10㍍の気球を製造。それに15㌔爆弾1発と5㌔焼夷(しょうい)弾2発を乗せ、時限装置を使い米本土に投下した。気球は福島県いわき市など太平洋岸から放たれ、少なくとも300個程度が米本土に到達した。
陸軍の登戸研究所などが開発に携わり、「ふ」号作戦気球部隊が編成され、通信隊や気象隊などを含む総員約2000人を数えたという。力の差を奇抜なアイデアで埋めようとした旧日本軍。それなりの戦果を期待した。
しかし、オレゴン州で6人が死亡したくらいで、大きな戦果は上げられなかった。もともと爆弾投下による米国民の心理的動揺が狙いであったともいう。
偏西風に乗せて偵察気球を米本土に送るという中国の発想は、旧日本軍の風船爆弾を参考にしたように見える。通過したコースに重要な軍事施設があったのは偶然ではあるまい。
旧日本軍と同様、偵察目的と共に米国民への心理的なプレッシャーを狙ったものではないかとの見方がある。結果はしかし、米国民の対中警戒心を高めただけのようである。