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「町内会長がしっかりしている地域は、犠牲者が少なかった。誰が行方不明か、すぐに分かり救出活動も速やかに行われた」――。正月気分が薄らいでくると、28年前の阪神大震災を神戸市灘区で体験した高見裕一さんの言葉が心に浮かんでくる。
高見さんは当時、「新党さきがけ」の衆院議員で被災地にいた唯一の与党関係者だった。情報を中央に伝えようとしたが、首相官邸などに危機管理策がなく機能不全に陥っていた。村山富市首相(当時)はテレビで初めて地震発生を知る体たらくだった。
それだけに高見さんは町内会長の働きぶりに感心した。日頃から誰がどこに住んでいるかを知っており、近所の人と力を合わせて倒壊家屋から住人を救い出すことができたからだ。
新潟県中越地震(2004年)で復旧活動がスムーズだった地域は、明治期まで存在した村の有力者による「オモダチヨリ」(重立寄合)や住民が参加する「ソヨライ」(惣寄合)の名残がある郊外だったという。
26人が民家の下敷きになった長野県神城断層地震(14年)では、農家にある重機やチェーンソーなどを使ってすべての人を救い出し、「白馬の奇跡」と称賛された。「田舎力」の成果だろう。
阪神大震災は村山社会党首班、東日本大震災は菅直人民主党首班の政権で、いずれも統一地方選挙の年だった。今年もその統一地方選挙が巡ってくる。「田舎力」を大いに問いたいが、野合政権と大地震だけは御免蒙(こうむ)りたい。