【上昇気流】(2023年1月3日)

天ぷら

国文学者で国語審議会委員などを務めた池田弥三郎は、東京は銀座4丁目にかつてあった老舗の天ぷら屋「天金」の次男坊だった。大正3年に生まれ、泰明小学校に通ったという銀座生まれの銀座育ちだった。『銀座十二章』(朝日文庫)は、大正から昭和にかけての銀座の変遷を綴(つづ)った池田の名随筆。

同書によると、江戸前の料理の代表、天ぷらはもともと、寿司(すし)と同じく屋台で売られる庶民のファストフードだった。それが上品になったのは「上方風の、東京進出以来のことである」という。

最後の将軍、徳川慶喜もお忍びで食べに来ていたという老舗の息子が言うのだから間違いないだろう。大正12年の関東大震災後、関西の料亭が東京に進出したというから、時期的にはその頃かと思われる。

タレントの山田五郎さんの随筆『銀座のすし』(文春文庫)によると、江戸前寿司が洗練されたのも、関東大震災後、関西料亭の東京進出の影響を受けたもの。

関西の和食文化と江戸前のファストフードが合体し、洗練されたというのは興味深い。西日本と東日本の異なる文化が互いに影響し合って創造を繰り返す。日本文化のダイナミズムが失われなかった理由の一つだ。

そういう点でも、江戸に幕府を開いた徳川家康の功績は大きい。ちなみに家康の死因は、好物の鯛(たい)の天ぷらを食べ過ぎたためという俗説があるが、それは最後の話。その前に家康には、どうするか、頭を悩ませる諸問題が待っていた。

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