親の願いと“お受験”

受験生

幼少期から大学受験まで、“ノホホ~ン”と育ち、勉強より遊んだものだ。高校受験も寸前までテニス部の活動に参加し、大丈夫かと冷や冷やする親から「勉強しろ!」と厳しく叱られたものだった。


四十数年前になるが、大学受験に至っては、大ファンだった広島東洋カープの初優勝の年と重なり、勉強どころではなかった。当時、秋口になると試合開始が午後1時のデーゲームが多く、受験間際という土壇場も“へとも思わず”授業中にラジオを聞いている“猛者”もいたことを思い出す。

そんな時代だったから、幼稚園から大学までという“お受験”とは全く縁が無かった。最近読んだ本には、「子供がやりたいなら全力で応援すれば良い」「子供が望まないのに、〇〇君が受験するからという親のメンツでの“お受験”なら辞めたほうがいい」という趣旨のことが書いてあった。最悪なのは「世間体を気にして、本人が受験したくないという気持ちを無視して」友人との人間関係構築や家族のお手伝いも二の次、三の次にして「とにかく」勉強という親だという。

親は子供の将来、良い大学に行き、良い会社・役所で仕事に就き、良き嫁・婿をめとり、幸せになってほしい、と思い込んで、“勉強一直線”の道を子供に歩ませる。「子供の選択」は人生の先輩たる親からすると、「危なっかしくて見ていられない」のだ。子供の人生なのに自分の考えを押し付けてしまう。

将来、独り立ちして、一家を守るようになった時、父親が家族のために働く姿、母親が家族のために掃除・洗濯・炊事をする姿を知らないで育つ場合と、少しでも家族のために、親の手伝いをする場合を考えてみよう。後者を土台にした人間教育を受け育った人と、そうでない人と、どちらが明るい人生を送れるのだろうか。すぐに結果が出るモノではないが子供のやる気、学ぶ姿勢づくりを大切にしたいものだ。

(和)

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