【上昇気流】(2022年12月18日)

栗の実

気流子の散歩コースの途中に、低木の栗(くり)の木畑がある。花が咲き、実を結び、青い毬栗(いがぐり)が葉の間に見えていたが、熟して少しずつ落下。

気になったのは、落ちた毬栗がそのまま放置されていたこと。中には既に殻が割れたものもある。いつ収穫するのか、少し心配になっていた。雨で腐ってしまうのではないかなどと。しばらく後に見た時は、無事収穫されたのか無くなっていた。

栗の実というと、かつて母方の実家で野山の栗を拾ったことを思い出す。林の道に落ちた栗は毬が割れて中身が見えていた。だが、拾っても虫食いの跡があったりして、食べられるものはあまりなかった記憶がある。

この栗が縄文時代の重要な食料になっていたことはよく知られている。特に青森県にある三内丸山遺跡の集落は、栗を栽培していたことでも有名。集落が後に放棄されたのは、栗が病害に遭って全滅したからという説がある。

それが正しいかどうか分からないが、確かに古代文明の遺跡には、栽培植物の不作や病害によって維持できなくなってしまったケースがある。稲や小麦であれば翌年に新たに種をまけばいいが、栗のような樹木は成長に時間がかかる。それで住む場所を変えるしかないわけだ。

栗を焼くと破裂して弾けてしまう。そのことから「火中の栗を拾う」ということわざが生まれた。国内外で難題山積の中、来年は危険を承知の上で問題の責任を負う真の政治家の出現が待たれる。

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