トップコラム歓喜の後に向かうところは

歓喜の後に向かうところは

後半、勝ち越しゴールを決める浅野(手前右)。奥はドイツGKのノイアー=11月23日、ドーハ(時事)

サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会で、日本代表が1次リーグ(グループリーグ)で優勝経験のあるドイツとスペインを相次いで撃破、E組1位で決勝トーナメントに進出し、日本は大いに沸いた。

とりわけ初戦のドイツ戦は日本時間の午後10時キックオフで、劇的な逆転勝ちの興奮を抑えられないサポーターたちが渋谷駅前のスクランブル交差点に繰り出して歓喜を分かち合うなどして、一気にW杯の雰囲気が盛り上がった。

やはり時間帯が同じ地域での開催は、見る方も快適だ。もう20年も前になったが、2002年W杯日韓大会の時の応援の熱気は今も忘れられない。とはいっても筆者は当時、ソウルに駐在していたため、アジアチームで初めてベスト4に進出した韓国サポーターの歓喜の渦に巻き込まれていた。

W杯開催前からソウルでは市庁舎前から光化門に続く世宗路周辺の街頭で、試合を映し出す大型ビジョンの映像を見ながら応援する「街頭応援」がどんどん広がり、韓国代表が勝ち進むにつれて、大変多くの人が集まるようになった。最寄りの地下鉄駅の出口から人混みが続き、外に出ても自由に歩き回れないくらい人が密集して、夜空に向かって「オー、必勝コリア、オー、必勝コリア」と叫びながら応援した。その一体感とエネルギーはすさまじいものだった。

もう二度と見られまいと思って懸命に写真を撮ったが、すぐ後に、米軍装甲車による女子中学生轢死事件への抗議運動が拡大し、再び市庁舎前から世宗路一帯を埋め尽くすローソク集会となった。

W杯応援の熱気と歓喜が見事に反米運動の熱気にすり替えられ、年末の大統領選挙にまでつながれて、盧武鉉大統領の誕生となった。今思えば、街頭応援に注がれた市民のエネルギーを巧妙に革新方向に導く企図があったのだろう。当時はよく見えなかったが。

(武)

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