
あす14日(旧暦)は、赤穂浪士討ち入りの日である。無念の死を遂げた主君・浅野内匠頭の仇(かたき)を討った浪士たちを、江戸庶民は武士の鑑(かがみ)と称(たた)え、「仮名手本忠臣蔵」は国民劇となった。
享保期以来200年近く、江戸歌舞伎は「寿曾我対面(ことぶきそがのたいめん)」で新年の幕を開ける。これも敵討ちである。十郎、五郎の曾我兄弟が父の敵・工藤祐経と対面し、工藤は兄弟に狩場の入場証を与え、富士の裾野で討たれてやろうと暗に約束する。
この二つに加え、伊賀越えの仇討ちを日本三大仇討ちという。縁起のいい初夢とされる「一富士、二鷹、三なすび」は、曾我兄弟の仇討ちの舞台となった富士の裾野、浅野家の家紋の丸に違い鷹の羽、伊賀がナスの名産地だったことによるとの説がある。
それくらい日本人は復讐劇が好きだったのかというと、そうとも言えない。江戸時代には敵討ちは制度化されていたが、単純に恨みを晴らすというより、それが武士の面目という一種の倫理的な位置付けがあった。
実際、「寿曾我対面」は陰惨な復讐劇ではなく、むしろ祝祭的と言ってもいい。それよりは、世界のリーダーたちの方が怨念や復讐心に駆られているように見える。
ソ連帝国の崩壊を「20世紀最大の悲劇」というロシアのプーチン大統領をウクライナ侵略に駆り立てたのは、西側諸国への怨念であろう。世界を混迷と苦難の底に引きずり込む怨念をいかに解くか。容易ではないが、来年の大きな課題のように思える。