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孔子が編んだとされる『春秋』には洪水や干ばつ、地震などの天災は、誤った政(まつりごと)への天の警告とある。漢代には儒家がこの考えを盛んに広め、「天人相関説」と呼ばれた。
現在の韓国ではそれを人災にまで広げ、為政者のせいにする性癖があるそうだ。梨泰院での圧死事故で責任追及の矛先が大統領に向けられているのはそのためだという。中国の儒家思想がいかに韓国に浸透しているか、小紙10日付「韓国紙セゲイルボを読む」に教えられた(岩崎哲氏「ポイント解説」)。
19世紀末の李氏朝鮮には、東学をはじめさまざまな新宗教が生まれた。その指導者たちは中華世界を「先天」と言い、その社会に矛盾が生じてついには行き詰まり、その後にこれを克服した理想世界が到来するとした。これを「後天」と名付け、その門が開かれることを「後天開闢」と呼んだ(『朝鮮を知る事典』平凡社)▼中華思想に動かされている今日の韓国は未だ「先天」ということになるのだろうか。いやいや、他国のことは言っていられない。日本人にも性癖が思い当たる。
視野が狭く閉鎖的な「島国根性」、大きな絶対権を持った「空気」(山本七平氏)、時流とみるや思考停止し駆け出す「過敏さ」(司馬遼太郎氏)――。数えれば切りがない。
新しい国造りを目指そうとしない「護憲」もまた、しかり。これを日本的「先天」と呼んでおこう。とすれば、戦後レジームからの脱却は、すなわち「後天開闢」である。