
ある朝ポストをのぞくと、新聞紙がビニールに包まれている。そういえば、前日の夜は雨だった。濡(ぬ)れないようにとの販売店の配慮だ。それを見て、気流子は新聞配達をしていた時のことを思い出した。
その時は、雨の日にはまだビニールで個装してはいなかった。朝起きると、自転車の籠に新聞の束を入れ、荷台にも積み、その上にビニールなどをかぶせて出発した。
購読者の自宅まで新聞を配達するという制度が始まったのは明治時代から。江戸時代には、現在の号外のような瓦版をわざわざ外に買いに行かなければ読むことができなかった。新聞が大部数の読者を獲得するようになったのは、この配達という形態が大きいと言われている。
そうしたサービスが始まったのも、新しい情報を知りたいという欲求が強くなったからで、原因は日清・日露戦争だったという指摘もあるほど。自分たちの生活に直結するので関心が高かったのだろう。ちなみに、新聞配達は日本独自に始まったものである。
科学技術の進歩に、戦争による新兵器の開発などが関わっていることはよく知られている。現在ニュースになっているノーベル賞も、ダイナマイトの発明が戦争に応用されるという悲劇から、平和の願いを込めて創設された面がある。
今年は既に経済学賞以外の受賞者が発表され、この中に残念ながら日本人はいなかった。毎回文学賞の有力候補に挙げられる村上春樹氏は、今年も受賞を逃している。