夫婦間で“戊辰戦争”

7回裏仙台育英1死満塁、岩崎が満塁本塁打を放つ=8月22日、甲子園

猛暑の8月、筆者にとって一服の清涼剤となった快挙があった。故郷、宮城の仙台育英が高校野球の甲子園大会で優勝、深紅の優勝旗を初めて東北にもたらしたのだ。

準決勝で対戦したのは、仙台藩主伊達氏と因縁浅からぬ福島県伊達市にある聖光学院。その聖光ナインの思いを引き継いで頂点を競った相手は山口の下関国際。つまり、戊辰戦争で、長州藩をはじめとした新政府軍に敗れた奥羽越列藩同盟の恨みを、仙台育英が約150年ぶりに晴らしてくれたというわけだ。

だから、優勝インタビューで「宮城の皆さん、東北の皆さん、優勝おめでとうございます。100年開かなかった扉が開いた」と語った須江航監督の言葉が胸を打った。彼は埼玉県さいたま市出身だそうだが、そんな細かいことはこの際無視。

たかが高校野球に戊辰戦争を持ち込むとは被害者意識が強過ぎる、と思うかもしれないが、それにはわが家の特殊事情がある。というのは、妻が長州出身で、常に家を取り仕切る“官軍”なのである。肩身の狭い“賊軍”の筆者には、いつも抵抗むなしく白旗を揚げさせられてきた積年の恨みがある。

先日も、体調の悪い妻に代わって庭の片付けをしていると、「それはここに置いて」「それに触っちゃダメ」と、次から次に命令が飛んでくる。須江監督だって指示ばかりせず、選手の自主性を重んじるから強くなったのだろう、と反発心が湧いてくる。それでも命令は止まらないのでついに堪忍袋の緒が切れ、「俺にだって考えがある。おまえの奴隷か」と怒鳴りつけたが、顔色一つ変えず効果なし。

これ以上、書くと今後に差し障るのでこの辺でこらえるが、そんな状況で飛び込んできた吉報。「仙台育英が勝ったぞ!」と、喜び勇んでLINEで送れば「予想してました。おめでとう!」と、余裕の返事。わが賊軍暮らしは当分続きそう。

(清)

spot_img
Google Translate »