来月27日に行われる安倍晋三元首相の国葬に際し、政府は各省庁に弔旗掲揚や黙祷(もくとう)による弔意表明を求める閣議了解を見送る方針を固めたという。哀悼の意を示す閣議了解は、2020年の中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬などでも行われてきた。国葬で行わないというのは筋が通らない。
反安倍勢力の国葬反対の動きや、ムードに流される世論の動きを見て岸田文雄首相はおじけづいたのだろうか。自身が決定した元首相の国葬に味噌(みそ)を付けてしまうことになる。世論調査での支持率急落より、右顧左眄(さべん)する姿勢の方が政権の将来にとっては心配材料だ。
それにしても、葬儀の在り方まで議論の的となる政治家は日本近代を振り返ってもそういない。まして戦後の政治家では安倍氏以外にいない。
「アベガー」と呼ばれる人々が、安倍氏が亡くなってからも攻撃するのは、それだけ遺(のこ)したものが大きいからだ。
憲法改正や防衛力の強化、さらに台湾有事への備えなど、安倍氏はしっかりと方向付けした。その遺産(レガシー)を貶(おとし)め、毀損(きそん)しなければ、と反対派は必死なのだ。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」といったところか。
歴代首相が手を付けなかった「戦後レジームからの脱却」という課題に安倍氏は取り組んだ。左派の執拗(しつよう)な攻撃を受け続けてきたのはそのためだ。吉田茂元首相の敷いた路線からの脱却に道筋を付けた安倍氏を、吉田氏以来の国葬とするのは実に理にかなっている。