【上昇気流】(2022年8月28日)

セミの死骸

仰向けになったセミの姿をよく見掛けるようになった。土に還(かえ)る瞬間を待つ姿だが、それにしても虫の死体で目立つのはセミが多いようだ。

チョウもトンボもあまり見たことがない。詩人の三好達治に、チョウの羽を引いたアリのことを「ヨットのやうだ」と詠んだ詩がある(『南窗集』所収の「土」)。残酷な場面にもかかわらず、不思議な美しささえ感じたことを覚えている。

アリはこのように他の虫の死体を掃除してくれるのだが、道路が舗装されて土が少なくなったため、アリが減ってしまって虫の死体もそのままになっている。セミが仰向けなのは、『生き物の死にざま』の著者、稲垣栄洋氏によれば、脚が硬直して体を支えられなくなってしまうからである。

セミで思い出すのは、イソップ寓話(ぐうわ)の「アリとセミ」。日本では「アリとキリギリス」となっているが、原話ではキリギリスではなくセミである。セミは寓話の作られたギリシャにも生息する。ただアルプス以北に伝わるときに、なじみのないセミから改変された。

原話に違和感があるのは、食料を蓄えているアリをセミが冬に訪ねるという記述だ。日本ではセミは夏の終わりから秋にかけて死んでしまうので、冬にアリを訪ねるというのはあり得ないと感じる。

その意味では、夏から秋まで鳴いているキリギリスの方がしっくりくる。原話に矛盾があるのは仕方がないだろう。事実ではなく、教訓がそこに求められているからである。

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