<都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関>。三十六歌仙の一人、能因法師の有名な歌である。奥州の三関の一つ、白河の関は、この歌によって歌枕として脚光を浴びることになる。後に諸国を行脚した西行も<白河の関路の桜咲きにけりあづまよりくる人のまれなり>と詠んだ。
能因の歌については有名な逸話がある。能因は実は白河を旅したことがなかったため、自分は旅に出たという噂(うわさ)を流し、家に籠もって日焼けをし、満を持。してからこの歌を発表したというものだ。ありそうな話ではある。
同じ三十六歌仙の一人、平兼盛も<便りあらばいかで都へ告げやらむ今日白河の関は越えぬと>と詠ったが、知人の家で白河の関の屏風(びょうぶ)絵を見て詠んだ歌という。能因も都から白河の関までの遠さを、季節の移り変わりの中で巧みに表現しているが、やや理屈っぽさがある。
それでも、遥(はる)かな陸奥への憧れを掻(か)き立てる名歌であることは確かだ。以来、「奥の細道」の芭蕉はじめ、詩人たちを歌枕の旅へと誘った。
昔は白河の関を越えることは大変なことだった。だから、余計にロマンを感じるのだ。
その白河の関を、深紅の優勝旗が越えることになった。夏の全国高校野球選手権大会で、宮城県の仙台育英が山口県の下関国際を下し、東北勢初の栄冠を手にした。東北勢はこれまで春に3回、夏に9回決勝に進んだが、いずれも涙を呑(の)んだ。堂々の勝利で、関所の扉と共に新しい時代が開かれた。