
都会ではアリ以外に昆虫を見掛ける機会は少ない。チョウもトンボも、自然の少ない環境のせいか、姿を見る機会はめったにない。一匹でも見た時はほっとするものがある。
そんな中でも、鳴き声だけで生息を確認できるのがセミである。姿は見えなくても、うるさいほどの声が存在感を示している。鳴くのはオスのセミで、伴侶となるメスを呼ぶためである。
特に、夏のセミの声とお盆の季節感が相まって、不思議な気持ちになることがある。墓参りをしている時、バックミュージックのセミの声を聞いていると、死者を慰霊する読経の声のように思えることがある。錯覚と言ってしまえばそれまでだが、成虫となって残りわずかの命のセミはそう感じさせるものを持っている。
晩夏になると鳴き始めるヒグラシは、むしろ辺り一面に静寂を覚えさせる。同じセミの声でもそれぞれ印象が違う。そういえば、鳴き声が「仏法僧」と聞こえると言われたため、ブッポウソウと名付けられた鳥もいる。ところが鳴き声の主はブッポウソウでなく、コノハズクであることが昭和に入って判明した。
ブッポウソウは青色で美しい鳥だが、鳴き声は低音の濁ったものである。「仏法僧」という鳴き声がきれいなので、姿もそうだと昔の人は思ったのだろう。声美人という言葉もある。
このところ、道端で仰向けになっているセミの死骸を見掛けることがある。満足して生きたのか、ふと聞いてみたいと思ったりする。