きょうは、樺太・真岡郵便電信局の電話交換手9人の乙女たちの命日である。終戦直後の1945年8月20日、ソ連軍の侵攻が迫る中、最期まで電話交換の業務を続け、凌辱から身を守るため自決した。
その悲劇を描く映画「樺太1945年夏 氷雪の門」(74年公開)で助監督を務めた映画監督の新城卓さんは沖縄県出身だ。10年ほど前、那覇市で開かれた「氷雪の門」上映会で新城さんは「この映画に出会ったのは、沖縄出身の私にとって宿命と思った」と語っておられた。
「沖縄では左翼が軍によって集団自決を強いられたと主張しているが、そうではない。辱めを受けず人としての本分を全うするために自決したのだ。樺太の真実の姿を沖縄の人々に知っていただき、それを通じて沖縄戦を再考してもらいたい」と。
旧満州でも集団自決があった。満州赤十字の看護婦たちはソ連軍支配下の病院勤務を強いられ、次々に慰み者にされた。残された22人の看護婦は青酸カリによる集団自決を選んだ。「共同の遺書」にはこうあった。
「私たちは敗れたとは云え、かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます。たとえ命はなくなっても、魂は永久に満洲の地に留まり、日本が再びこの地に還ってくるとき、ご案内致します」(名越二荒之助著『史実が語る日本の魂』)。
女性としての誇りに殉じた彼女たちの悲劇は、国を守るために散華した兵士たちと同様に日本人の心に深く刻みたい。