父の三回忌法要があった。東北の農村部にある実家の墓には、もちろんこれまで幾度も参っているが、今回ほど、実家の墓をじっくり見たことはなかった。自分が還暦を過ぎて墓に入るのが遠くないからだろう。
実家は代々、檀家(だんか)の世話役を務め、しかも父は寺の前に広がる墓地の区画整理に尽力した功績があった。そのためだと思うが、墓は墓地の入り口、一等地にあり、しかも人目を引く。
まず「墓の顔」と言える石塔の形が一般的な長方形ではなく、縦長の楕円(だえん)形の自然石をそのまま使っているのだ。しかも、3段ある階段は他家の墓より高いから、当然石塔も高い。墓の広さも平均の倍近くはあり、全体が苔(こけ)むしているから必然的に目立つのである。
実家名を刻んだ120㌢ほどの石塔の横には、ご先祖様の名前がびっしり刻まれた、人の背丈ほどの長方形の石版(墓誌)がある。
「誰がこんな石塔を探してきたのかな」と、墓参りした親戚の一人が漏らしたが、たぶん明治以降、木材の切り出しで財を成した曽祖父ではないか、というのが筆者の推測だ。
実家の墓がいかに歴史があり立派なものでも、次男である筆者は入るわけにはいかない。自分の墓はどうするか。
帰京して間もなく、そんなことを考えながら、仕事場に向かい歩いていると、「樹木葬」という幟(のぼり)が目に入った。通り道にあるお寺の敷地内に、直径30㌢弱の壺(つぼ)を150個余り埋め込んだ樹木葬墓地がいつの間にかできていたのだ。
立ち止まって、眺めている筆者のところに、墓地紹介会社の社員がパンフレットを持って駆け寄ってきた。一区画「3霊」まで納骨でき、志納金、護持管理費、永代供養料などを含めて45万から55万円。ただ、50年後に合祀(ごうし)されるという。この樹木葬では、何代か後の子孫から「先祖様は立派な墓を造った」とお褒めの言葉を頂くことはない。
(森)