
「仮の世のひとまどろみや蝉涼し」(高浜虚子)。蒸し暑い日、何かが足りないと感じた。ふと遠くからセミの声がかすかに聞こえた。それでセミの声が欠けていることに気付いた。セミは何よりも夏と切っても切れない虫という感がある。
ウェザーニュースのセミの声に関する調査(7月11~12日)によると、東京で今年聞いた人は4割程度。まだ本格的なシーズンにはなっていないようだ。
セミの声を聞くと、誰しも幼い頃の夏休みや海水浴、山登りなどの思い出が浮かぶのでは。セミの声とともに夏が始まり、声が聞こえなくなると秋が来るといったイメージさえある。
セミは長年地中で過ごしてから成虫になるために地上に顔を出し、そして草木にはい上って脱皮する。朝方、林や公園を歩くと至る所にセミの抜け殻が残っている。
セミの命が短いと考えられているのは、地上での活動期間が短いからだ。しかし何年もの幼虫時代を考えれば、長生きの部類に入る。都会では自然が少ないのであまり虫を見掛けないが、セミだけは別である。毎年、夏になると鳴き始めるからだ。
ところで「短い一生」ということで思い出すのは、気流子の学生時代、本を買った際に書店が付けてくれるカバーに「人生は短い。つまらない本を読まないで良書を読もう」といった内容の教訓が刷り込まれていたことである。誰の言葉だったのかは忘れてしまったが、これだけは今でもよく覚えている。