安倍晋三元首相が銃弾に倒れた。祈りも空しく訃報が届き、心が震えた。壮絶な「戦死」である。安倍氏は何を目指してきたのか。改めて想う。
第1次安倍政権の初の所信演説が蘇(よみがえ)る。「日本を、世界の人々があこがれと尊敬をいだく、そして子供たちの世代が自信と誇りを持てる『美しい国、日本』とするために全力を尽くす」(2006年9月29日)。「美しい国」と言えば「ふるさと」が思い浮かぶ:
ドイツの思想家ヘルダーは言う。「ふるさとは母なる価値を持つものであり、生まれ故郷における体験だけの影響、つまり愛、保護、援助の雰囲気を持つことができるのである。静かに創造的に固く結合する集団は、家庭がなり得るものであり、決して組織がなり得るものではない」(F・レンツ=ローマイス著『都市は「ふるさと」か』鹿島出版会)。
こんな「ふるさと」が「美しい国」の基層となっているはずだ。山紫水明麗しき列島に住み永らえてきた日本人は、組織も家族的なものに昇華させ、天皇を中心に家族的な紐帯で結ばれてきた。「美しい国」とは、もう一度、日本を「ふるさと」と呼ぶに相応(ふさわ)しい国に再生しようという決意ではなかったか▼安倍氏は父の故晋太郎元外相が座右の銘とした「初心忘るべからず」を自らの信念としてきた。自民党の「初心」は自主憲法制定である。
改憲なくして「美しい国」はない。安倍氏の魂の叫びが響いてくる。その遺志を誰が継ぐのか。合掌。