
人間は評価する存在だ。だが、評価される存在でもある。作家の松本清張(1992年没)は批評家を嫌ったが、清張の小説にも多分に作者なりの批評(評価)が含まれている。批評の働きが全くない小説はそもそもあり得ない。
「評価はお互いさま」とも言えるが、そうでもないケースも多い。相撲の審判と力士との関係がそうだ。昨今は映像で判定する場合も多いが、勝負審判と力士は、たとえ力士が横綱であっても、少しも対等ではない。
芥川賞選考委員と候補作の作者との関係も同じ。作者が選考委員会に出向いて「自分の作品の意図は○○だ」などと説明する権利は与えられていない。「現行の選考方法はおかしい」とは誰も言わない。教員と学生も同じで、単位の認定は担当教員のみが行う。
一般には評価する側の優越が認められている。優越するのであれば対等ではあり得ない。グルメサイトの評価をめぐる裁判で、東京地裁はサイトの運営会社が優越的な地位にあったと認定した。
原告の焼き肉チェーンは、サイトの評価ルール(アルゴリズム)が変更され、チェーン店の評価が一律に引き下げられたと主張。判決は「優越的な地位を利用して不利益な変更を行い、独占禁止法に違反した」として、運営会社に賠償を命じた。
この判決については「世界的な規制の流れに沿ったもの」との評価が多い。運営会社と飲食店との間の著しい不平等の是正が求められたのは当然だ。