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北朝鮮北東部の港湾都市、清津から錆だらけの小型船に乗って金萬鉄さん一家11人が福井県の港に漂着したのは1987年1月のことだ。金さんは清津医大病院の医師だった。
韓国に亡命後、北朝鮮の医療の実態を赤裸々に語った。「医者である前に共産主義者たれ」との教示の下、住民用に供給された薬品をこっそり引き抜いて労働党幹部に献上させられた。高額な医薬品は高級幹部らが独り占めし、人民は粗悪な薬も手に入らなかった。
最高指導者の金日成、金正日父子の食料や日用品は「9号製品」と呼ばれ、その生産従事者の健康をチェックする「9号検診隊」が組織されていた。検診隊は生産者を守るためではなく、彼らに病気があった場合、金父子に感染させないためのものだった。
核戦争時に避難できる坑道掘削工事が住民を強制動員して進められた。工事突撃隊と呼ばれ、セメント資材も強要され、夜間に企業所から盗み出すのが「美徳」とされた。
金さんの証言から35年。最高指導者は代替わりしたが、体質はちっとも変わっていないようだ。新型コロナウイルスの感染者は徹底隔離されている一方、首領様はこっそりワクチン接種したとの噂もある。それもあってか核戦争も辞さない強硬姿勢だ。
北朝鮮が韓国に軍事侵攻した「6・25動乱」の勃発からきょうで72年を迎える。わが国は参院選の最中だが、きょう一日ぐらいは物価よりも安全保障について語ってもらいたい。