JR青梅線の羽村駅で下車して多摩川へと下って行った。羽村市郷土博物館(東京都羽村市)に向かったのだが、羽村堰下橋に来ると興味深い光景が見られた。その日はアユ釣りの解禁日。
川岸でアユ竿を持った釣り人は7~8人と少なかったが、橋の上では男性らが興味深そうに見ていた。釣果はどうなのか、気になるところ。聞くと天然アユの遡上(そじょう)を狙ったものではなく、放流されたアユだという。
解禁されたのは友釣りで、ドブや毛ばりは19日だそうだ。上流の奥多摩川では少し遅くなる。ところで東京都の調査によると、今年の多摩川でのアユ遡上数の推計は250万尾だ。
3月8日から5月31日まで、河口から11㌔の地点に定置網を設置。入った数は累計13万5000尾以上で、これを入網率で割って遡上数を割り出した。昨年まで2年連続で少なかったが、今年は「遡上数回復の兆し」と結論付けた。
俳人水原秋櫻子の『秋櫻子日記抄』(東京堂出版)にアユ釣りの話が出てくる。昭和44年6月8日。「今日は秋川の鮎解禁日で、五千人以上の釣人が五日市に集まったそうだが、亜川君も暁方から川に下り、十時過ぎまで釣った鮎を二十尾ほど届けに来てくれた」。
多摩川の水質悪化の時期だが、支流の秋川では放流による釣りがまだ盛況だった。秋櫻子の弟子には釣り師らがいて、内山亜川もその一人。秋櫻子は弟子になったように大会の様子やルール、竿やおとりについて学んだという。