【上昇気流】(2022年5月18日)

テレビを見る人

テレビ画面に昔の映像が出てくることがある。数年前か100年前か、日本なのか外国なのかは不明。が、時に「いつ」「どこ」が表示されない。映像が印象的な場合もあるので「日時と場所をなぜ示さないのだろう?」と思うことが最近多い。

そんな中、「この世の中のすべてがデジタル映像で記録されるようになってから、歴史上のいつ地球上のどこで、という特異性、個別性が希薄になった」(三浦雅士著『孤独の発明』講談社/2018年)という文章に出会った。

あらゆる物事は、必ず特定の日時と場所で起こる。それが一回性だ。たった一回のその事件は、一回性だからこそ重要と考える人がいる。

半面、「いつのことであれ、どこで起こった話であれ、そんなデータに関心がない」という人もいる。「重要なのは映像のインパクト」であって、日時と場所はそれほど必要ではないというのが彼らの意見だ。

映像だけを流しておけば、日時や場所の特定といった面倒は避けられるとテレビ局が考えるのか。それとも、日時と場所を表示しなくても苦情が出るケースは少ないので、普通にそうしているのか。そこは分からないが、近年は「映像そのもの」だけが放送されるケースが多くなったのは確かだ。

どんな物事であれ一定の文脈がある。あらゆる事件は文脈の中で記録されるとも思うのだが、なかなかそうはいかないまま、「特異性・個別性」の希薄化だけが着実に進行している。